沿革
大阪梅田教会は大阪市内の5つの教会が統合されて造られました。1906年にS・ブスケ神父によって創設された北野教会。1951年に設立された姫里教会[古屋孝賢神父(1951~1981年)、石原広吉神父(1981~1988年)、池田 実神父(1988~1990年)、A・ブルカルト神父(1990~1995年)]。1952年に設立された福島教会[山口鉄雄神父(1952~1953年)、宮本勝美神父(1953~1954年)、上中儒利神父(1954~1988年)、ムッシェ神父(1988~1995年)]。1953年に設立された三国教会[山口 正神父(1953~1955年)、ドミンゴ神父(1955~1961年)、飯島幸一神父(1961~1963年)、西田 保神父(1963~1972年)、間瀬雅夫神父(1972~1977年)、ジョゼフ・フィナティ神父(1977~1980年)、ジェイムス・ムルローニイ神父(1980~1982年)、ダニエル・グリフィン神父(1982~1991年)、最後の主任司祭中村三郎神父(1991~1996年)]。1966年に設立された桜ノ宮教会[山口 正神父(1959~1969年)、西山俊彦神父(1969~1970年)、その後1995年までスペイン外国宣教会のサンチャゴ・ ゴメス神父、フェリクス ・ ゴリンド神父、 カンバラ神父、 オンダーラ神父、 レドンド神父、 レクンベリ神父、 イズコ神父]の5つの教会で大阪梅田教会は成り立っています。
今の大阪梅田教会の敷地に会った北野教会は大阪市内では川口、内淡路町、玉造に続いて4番目の天主堂でした。場所は、 大阪市北区北野小松原町で、 それは現在のTOHO CINEMAがあるビルの敷地内にあったと言われています。そこは狭すぎたので、1912年に、 中津町下三番に移転。 場所は昔の阪急の中津駅近くで、 北野六斉橋と呼ばれていました。1923年に国鉄貨物線が敷かれることになって、再移転を余儀なくされました。 移転先は、中津警察署を東に半町入ったところ(現在の地下鉄中津駅)。 1934年地下鉄線延長のため、現在の地に移転しました。J・Bゼレー神父はここにゴチック様式の聖堂を建築しました。ブスケ神父は北野教会を創設した後、夙川教会も建立し(1921年)、一時帰国して、再び北野教会に赴任し、ここで憲兵によって連行され、拷問を受け、殉教死しました。その聖堂も、1945年5月25日の空襲によって焼失してしまいました。戦後復興は、まず主任司祭野口秀吉神父の時代(1945~1950年)に、 1949年に小さいが石造りの教会が、設計施工者土田頼睛氏のもとで建てられました。続いて佐々木鉄治、小川悟、 稲田豊神父(1956~1963年)と受け継がれ、活発な司牧活動により、教会は活生化されました。ビジネス街で働く若い男女も結婚準備などのために訪れました。続いて平松郡太郎神父、池田実神父、壺内弘吉神父、朝山宗岩神父(1970~1979年)、 山口鉄雄神父(1979~1989年)、 石川武津夫神父(1989~1992年)、吉村 延神父(1992~1995年)を経て、共同宣教司牧となりました。
大阪市は、JR大阪駅の南側から戦後復興を始めました。 阪神百貨店、日本生命ビル、丸ビル、第1、第2駅前ビルなどが建てられました。その勢いの流れの中で、北浜教会のカトリック・センターも役割を果たしました。
他方、JR大阪駅の北側の開発は、その後始まりました。阪急百貨店も御堂筋に面したビルだけで、その直ぐ北に梅田駅がありましたが、その百貨店も北に拡張され、梅田駅もはるか北に移転されて拡大され、その下に三番街、その北に長距離の阪急バスのステー ション、食堂街と続き、その北にはホテル阪急インターナショナルと、地域の活生化が行われました。 特にJRの貨物のための広大な土地が再開発されました。
この時代の文脈の中で、北野教会の敷地と建造物は、周囲の高層ビルから見れば、「高価な土地にお花畑か」と失笑を招き、北野教会の敷地の有効利用が急務となりました。
その契機が、1995年の北浜教会の閉鎖と、2003年の三国教会との統合でした。2006年には、創立100周年を迎え、新生計画による共同宣教司牧の実践もあり、北野教会は、従来の姫里教会、福島教会、桜宮教会と統合し、サクラ・ ファミリアの大阪梅田教会として発足することとなりました。 それに関目教会と共に梅田ブロックとなりました。
「サクラファミリア」は旧北野教会の敷地に、ハートンホテル北梅田と共に建つビルで、その中に小教区としての大阪梅田教会と上智大学大阪サテライトキャンパス、サンパウロ大阪宣教センター(書店)があります。1階に事務所のほか、小聖堂と書店があり、2階に上智大学大阪サテライトキャンパス、3階に聖堂、4階に集会室があり、 「祈り、 研究、 交流の場」として、どなたでも気軽に利用できることを目的としています。
聖堂の装飾は、イタリア人の彫刻家C・ボナノッテ氏によるもので、彼の鋳造の作品が並び、小聖堂と入口、その上の外壁にもあります。この教会の守護の聖人は「聖家族」で、イタリア語で「サクラファミリア」と言います。
竣工式と聖堂の献堂式は、2011年3月6日に、教皇大使A ・ ボッターリ・デ・カステッリ大司教、池長潤大阪大司教によって行われました。こうして、10年あまりかけて準備してきた、三国、姫里、福島、桜宮、(北浜を含む)北野教会の5つの教会が名実共に統合され、大阪梅田教会が発足しました。 主日のミサは、7時と11時(日本語)、9時(英語)に行われています。
大阪梅田教会は、小教区としての活動に加え、かつて北浜教会がカトリックセンターとして果たしていた活動も行うこととなり、信仰入門講座(複数)、結婚講座、信徒が信仰を深めるための多数の講座を行います。 葬儀は関目教会の聖堂、 または姫里の集会室で行います。
在日外国人僧徒が集う拠点として、また、ビジネスや観光のために訪れるアジアのみならず欧米やオセアニア、アフリカの信徒たちも気軽に立ち寄ることができる場所として、色々な国の様々な文化の交流ができる場所となっています。
この地域の人々との関係も深まりつつあります。例えば、梅田界隈のクリスマス・ツリーにつけられた願い事を神様に奉納することなどを依頼されるようになりました。